親の希望と自分の人生
2009年 07月 01日
さっきアップした記事で、両親とのことを書ききれていない気がしたので補足です。
私は高校卒業後、親元を離れて東京に進学しました。
中学生頃からすごく好きだったインテリアの勉強がしたかったのですが、地元にはそんな大学はなく、親の反対を押し切って上京しました。
特に父親は「一度手元から離したら、もう戻ってこない」と周りからも言われていたため、かなり反対していたのを母が説得してくれました。
そして大学卒業。その頃は就職氷河期。
地元と東京、両方で就職活動をしていたのですが、結局決まったのは東京の会社でした。
このとき、両親は「もう帰ってくることはない」とかなりがっかりしたようです。
正直に言って、私はそこまで深く考えていなかったのですが。
単純に「ああ、就職できてよかったー」という気楽な感想しか持ちませんでした。
そして両親に対しては、「なんで地元に帰ることにそんなに固執するんだろう?私の人生なんだから、好きなようにさせてくれればいいのに。離れていたって親子なのに」と思っていました。
就職してしばらくたって、夫と出会いました。
親に了承を得ることもなく、会社を辞め、同棲生活を始めました。
くわしくは説明できないけれど、このときはどうしてもそうするしか方法がありませんでした。
ただ、会社を辞めたこと、同棲していることを親に電話で話した時は辛かった・・・。父は怒り、母は電話口で泣いていました。
このとき初めて、「親の希望する自分」と「自分の人生」の食い違いを深く考えた気がします。両親はきっと、地元で進学や就職をして、近くの人と出会って結婚してほしかったんだと思います。だからこそ、先を見据えて東京へ進学することを強く反対したのでしょう。
私はことごとく親の期待には添えなかった・・・。
「親の期待を裏切った」「親を悲しませた」ということがひしひしと感じられて、とても辛かった。
でも、もし同じ状況になったとしても、絶対に私は同じ行動をしたはず。
こうするしかなかった。親を傷つけても、どうしても譲れないことばかりだった。自分のわがままだけど、この選択をしなければ、自分の人生が終わるときに必ず後悔していたはず。自分の行動に迷いはないけれど、ただ親が悲しんでいる現状が悲しかったんです。堂々巡りでした。
今は両親を悲しませても、自分が幸せにしていることを見せてあげられれば、いつかわかってくれる・・・としばらくしてから思えるようになりました。そして何年もかかって、今はこうして文句を言いながらも楽しく行き来ができるようになりました。
親の希望と自分の希望が一致していれば、こんなに幸せなことはないと思います。
どちらが無理や我慢をすることもなく、幸せに暮らしていけるなんて。
私はそうはできなかったけれど、「私の幸せが自分の幸せだと、お父さんもお母さんも思ってくれる」という信頼だけはゆらぎませんでした。この信頼こそが、両親から与えてもらった最も尊いものだと感じています。
きっと両親は、私や夫に対してわだかまりが残っているんだろうと思います。
でもそれを飲み込んでくれている。
「赤ん坊が産まれたら、お父さんがお風呂に入れる!」
と張り切っている父を見て、
「時間がたったんだな、ここまで来れたんだなあ」
としみじみ幸せを感じました。
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私は高校卒業後、親元を離れて東京に進学しました。
中学生頃からすごく好きだったインテリアの勉強がしたかったのですが、地元にはそんな大学はなく、親の反対を押し切って上京しました。
特に父親は「一度手元から離したら、もう戻ってこない」と周りからも言われていたため、かなり反対していたのを母が説得してくれました。
そして大学卒業。その頃は就職氷河期。
地元と東京、両方で就職活動をしていたのですが、結局決まったのは東京の会社でした。
このとき、両親は「もう帰ってくることはない」とかなりがっかりしたようです。
正直に言って、私はそこまで深く考えていなかったのですが。
単純に「ああ、就職できてよかったー」という気楽な感想しか持ちませんでした。
そして両親に対しては、「なんで地元に帰ることにそんなに固執するんだろう?私の人生なんだから、好きなようにさせてくれればいいのに。離れていたって親子なのに」と思っていました。
就職してしばらくたって、夫と出会いました。
親に了承を得ることもなく、会社を辞め、同棲生活を始めました。
くわしくは説明できないけれど、このときはどうしてもそうするしか方法がありませんでした。
ただ、会社を辞めたこと、同棲していることを親に電話で話した時は辛かった・・・。父は怒り、母は電話口で泣いていました。
このとき初めて、「親の希望する自分」と「自分の人生」の食い違いを深く考えた気がします。両親はきっと、地元で進学や就職をして、近くの人と出会って結婚してほしかったんだと思います。だからこそ、先を見据えて東京へ進学することを強く反対したのでしょう。
私はことごとく親の期待には添えなかった・・・。
「親の期待を裏切った」「親を悲しませた」ということがひしひしと感じられて、とても辛かった。
でも、もし同じ状況になったとしても、絶対に私は同じ行動をしたはず。
こうするしかなかった。親を傷つけても、どうしても譲れないことばかりだった。自分のわがままだけど、この選択をしなければ、自分の人生が終わるときに必ず後悔していたはず。自分の行動に迷いはないけれど、ただ親が悲しんでいる現状が悲しかったんです。堂々巡りでした。
今は両親を悲しませても、自分が幸せにしていることを見せてあげられれば、いつかわかってくれる・・・としばらくしてから思えるようになりました。そして何年もかかって、今はこうして文句を言いながらも楽しく行き来ができるようになりました。
親の希望と自分の希望が一致していれば、こんなに幸せなことはないと思います。
どちらが無理や我慢をすることもなく、幸せに暮らしていけるなんて。
私はそうはできなかったけれど、「私の幸せが自分の幸せだと、お父さんもお母さんも思ってくれる」という信頼だけはゆらぎませんでした。この信頼こそが、両親から与えてもらった最も尊いものだと感じています。
きっと両親は、私や夫に対してわだかまりが残っているんだろうと思います。
でもそれを飲み込んでくれている。
「赤ん坊が産まれたら、お父さんがお風呂に入れる!」
と張り切っている父を見て、
「時間がたったんだな、ここまで来れたんだなあ」
としみじみ幸せを感じました。
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by sumire_1973
| 2009-07-01 17:24
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